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最近見かけない飛行船

記事Mar.5th, 2021
飛行船とは?最近見かけない飛行船のあれこれ。

飛行船とは?

飛行船とは?

飛行船は空気よりも軽い水素やヘリウムなどの気体を気嚢きのうと呼ばれる風船のようなものに詰めることで空中に浮かぶ航空機のことです。同じような原理の航空機は気球もありますが、飛行船は気球と違ってプロペラなどの動力や方向を変えるための舵があります。

飛行船「スヌーピーJ号」

2種類の飛行船

飛行船には大きな分類として2種類あります。一つは軟式飛行船、もう一つは硬式飛行船です。

軟式飛行船は言葉通り柔らかい膜材で船体ができた飛行船で、船体がそのまま浮揚のための気体を詰めるための気嚢になっています。大型化には向きませんが、軽量でコスト面で有利であるため、それほど大型でない現代の飛行船はほとんどが軟式飛行船です。

硬式飛行船は金属製の枠組みで船体ができていて、そのなかにいくつもの気嚢を収めています。船体の強度が高まるため大型化が可能で、過去に建造された巨大飛行船は硬式飛行船であり、ツェッペリン飛行船や映画「魔女の宅急便」に登場する「自由の冒険号」も硬式飛行船です。

軟式飛行船と硬式飛行船以外にも両方から“いいとこ取り”した半硬式飛行船などもあります。

飛行船の歴史

飛行船のアイデアはライト兄弟が飛行するはるか前の17世紀にはありました。熱気球で飛行する試みはいくつも行われ、1785年にはフランス発明家が熱気球に推進と操縦のための羽をつけたもので英仏海峡の横断に成功しました。そして1852年にはフランスの技術者のアンリ・ジファールが蒸気機関をつけた機械力で駆動する初の飛行船の飛行に成功しました。

その後、ドイツのフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵が大型の硬式飛行船の実用化に成功しました。彼はドイツの巨大飛行船産業を一代で築き上げ、ツェッペリン飛行船会社は数多くの飛行船を建造しました。中でも全長236.6mもあった彼の名を冠したグラーフ・ツェッペリン号は世界一周飛行の途中の1929年8月に霞ヶ浦にあった海軍航空基地に来航し、見物客が30万人も押し寄せたといわれます。そして、“ツェッペリン”は多くの言語で硬式飛行船の代名詞にもなりました。

飛行機による移動が一般的になる前の第二次世界大戦前がまさに飛行船の黄金期で、全長が200mを超える飛行船が富裕層の移動手段として大西洋を横断する定期航路などにも就航していました。また、軍事目的でも使用され、ドイツをはじめ、イギリスやアメリカも数多くの飛行船を偵察や爆撃のために建造しました。

しかし、1937年に発生したヒンデンブルク号の爆発事故をきっかけに当時入手しづらいヘリウムではなく燃えやすい水素を利用していた飛行船の信頼性は失墜してしまい、もともと飛行機よりも速度が遅く、旅客船よりもサービス面で劣る飛行船は生き残ることができず次第に消えていきました。

また、戦闘機や対空砲が発達すると低速で大きい飛行船は撃墜するのが容易だったため軍事目的でも次第に使用されなくなりました。とはいえ、アメリカ海軍は第二次世界大戦でも150隻以上の飛行船を対潜水艦戦のために運用しました。輸送船の護衛にも就き、飛行船の護衛を受けた7万隻のうち、護衛下で潜水艦に撃沈された輸送船は1隻だけでした。

戦後不要になった飛行船は民間に払い下げられました。新しい民間の飛行船も建造されるようになりましたが、すでに飛行機は飛行船よりも効率的な交通手段になっており、ゆっくりとした速度で飛行する飛行船は広告や遊覧飛行のために使用されるようになりました。現代の飛行船は炎上しやすい水素ではなく不燃性のヘリウムが使用されています。

飛行船の未来

無人制御技術の進歩とともに、長時間空中にとどまることができる飛行船の利点が再び見直されています。過去に各国が巨大な飛行船を偵察目的で運用していましたが、レーダーやセンサーを搭載して自律飛行する偵察用の飛行船の研究が進んでいます。

また、無人制御の飛行船を地上20キロメートル以上の成層圏に滞空させてインターネット通信のための無線局として活用するための研究が行われており、地上に通信網を整備することが難しい遠隔地にインターネットをもたらす手段として期待されています。

日本の飛行船

日本の飛行船

日本では1910年9月8日に山田猪三郎が山田式1号飛行船で初の国産飛行船による飛行を成功させました。その後、山田式3号飛行船は大崎から東京上空を一周し、約20kmを飛行しました。

1916年1月22日には陸軍の軍用飛行船である雄飛号が埼玉県の所沢から愛知県豊橋を経由して大阪までの試験飛行を行いました。なお、この飛行を記念して1月22日は「飛行船の日」となっています。

海軍でもイギリスやイタリアから飛行船を輸入し、複数の飛行船を運用しました。1929年に完成した国産の海軍第八飛行船は1931年に60時間1分飛行しての当時の半硬式飛行船滞空の世界記録を更新しました。しかし、飛行船の兵器としての価値を見出せず、第八飛行船も1932年に解体されてしまいました。ちなみに海軍では飛行船は1928年まで「航空船」と呼ばれていました。

戦後の1969年、日本で初の民間飛行船である「飛龍号」が初飛行しました。機体番号はJA1001で、船体にスポンサーの日立製作所のカラーテレビである「キドカラー」の広告が描かれていたことから「日立キドカラー号」とも呼ばれました。この飛行船はもともと1942年に就役したアメリカ海軍の飛行船で、民間に払い下げられた後にドイツでの運航を経て来日しました。分解されて日本に到着した飛行船を飛行させるまで手続きや組み立てなど多くの困難がありましたが、各地へ飛行する飛行船を見るために大勢の見物客が押し寄せる飛行船フィーバーが起きたといいます。

「飛龍号」は翌年に暴風によって破壊されてしまいましたが、1973年には積水ハウスのPRを目的とした機体番号JA1002の「レインボー号」が飛行しました。この「レインボー号」は岡本太郎によるデザインで、会社名や商品名の入っていない異例の飛行船広告でした。

「レインボー号」に続き、合計8隻の日本国籍の飛行船が日本で運航されました。1989年には合計5隻の飛行船が各地で運航され、外国籍の飛行船も複数運航されましたが、飛行船の運航は次第に終了していき、1996年を最後に一時日本から飛行船は姿を消しました。

最近の飛行船

次に日本を飛行船が運航するのは2003年で、グッドイヤー社の広告が描かれた「スピリット・オブ・ジャパン号」が運行しました。この飛行船はアメリカ国籍でしたが、2006年に再び来日して日本国籍の機体番号JA12ZPとして登録され、ニッセンの「スマイル号」として2009年まで運航しました。また、2003年には過去に機体番号JA1008として登録されていた飛行船であるドイツ国籍の機体番号D-LDFRが再び来日してニッセンの「チョッピー号」として運航しました。

最後の日本国籍の飛行船は日本飛行船が運航したツェッペリンNTです。JA101Zの機体番号で登録されたこのツェッペリンNTはドイツのツェッペリン飛行船会社が製造する飛行船の試作機に続く量産初号機で、2004年12月に来日しました。ツェッペリン飛行船会社はかつてツェッペリン飛行船を製造していた会社の後継企業で、第二次世界大戦中に消滅したツェッペリン飛行船会社が約50年ぶりに復活し、次世代の飛行船として開発さしたツェッペリンNTを1997年に初飛行させました。なお、この時ツェッペリンNTは1929年のグラーフ・ツェッペリン号と同じルートを飛行して来日する予定でしたが、ロシア領空を飛行する許可が下りなかったためコンテナ船に積載されて来日しました。

ツェッペリンNTは埼玉県の川島町を拠点に遊覧飛行や、広告宣伝、航空撮影や測量などのために運航されていましたが、運航会社の業績悪化によって2010年に運航を停止してしまいました。ツェッペリンNTは同年中に解体されましたが、現在はドイツに戻ってボーデン号としてツェッペリン飛行船会社の子会社であるドイツツェッペリン輸送会社が運航しています。

最後に日本を運航した飛行船はメットライフ生命のPRのために運航していたアメリカン・ブリンプA-60飛行船「スヌーピーJ号」です。この飛行船はアメリカ国籍でアメリカの会社による運航でしたが、2010年から運航を開始し、途中飛行船が交代しましたが、2016年まで日本各地を飛行しました。

飛行船「スヌーピーJ号」

「スヌーピーJ号」を最後に現在まで日常的に日本を飛行している飛行船は残念ながらありません。

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